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夕べの供はNHKの『ヒバクシャからの手紙』。
「全国の被爆体験者から寄せられた手紙を朗読することによって 原子爆弾の惨劇を後世に語り繋いで往く」のを主旨とする番組なように 偶々行き会った眼には映った。
企画自体は素晴らしかったが 司会やコメンテーターは寧ろ無い方が より視聴者の感受性を刺激出来たのではないだろうか。僕であれば 各界の著名人や名も知れぬ一日本国民にお願いし一人一通ずつを丁寧に読んでもらう 唯それだけの構成にしただろう。
こういった言葉たちに対する 解説は不要だ。無粋である。語る人それぞれにそれぞれの思いが在るのと同様 聴く人にもそれぞれの感想は赦されて在って良い。聴く人それぞれの心へ判断を託す——何故そういう勇気と誠意ある態度を 日本は示せないのか。ココにも 何でもをユニフォーム化させる日本の 過保護な自由剥奪趣味を観るような思いがする。
コメンテーターが一様に “継承の義務” を唱えるのも頂けなかった。被爆体験の継承 其の義務が日本人にはあること 其れを完遂出来るのは 世界中で日本人しかないこと それについては異論は無い。だが 被爆後の人生の中で「ただ貝になるしかない」「未だに直視出来ない」というのも又 確かに被爆者の一つの在り方である。其れには是非は無い。被爆を語る人 聴く人 総ての意志を尊重する為に たとえ番組の主旨には時として反することになっても 中立的/宇宙的/哲学的見解を披露する役割を 番組は用意すべきだったろう。
「資料館には未だに行ったことがない。私にとって原爆は 視たり識ったりするものではないから」という行があった。僕には最も印象深い手紙である。実際に体験する以上に意味深い行為は此の世に存在しない という意味だろうと想った。
コレで幾つめのブログ新設だろうか(苦笑)。