北京五輪開幕
前回の五輪開催時 我が家では継父の肺癌発覚騒動で五輪観戦どころではなかった。三年前その継父が逝き 母子二人きりの生活ももう殆ど平穏と手を取り合った今年 五輪はそれでも我が家の興味対象外 である。
開催前から最年長の出場者として話題になっている馬術の法華津(ホケツ)氏に 「レギュラーメンバーでも “補欠” とは……」とチョット面白い気はしているけれど 興味と言ったらその程度か。
否 僕が本当に注目しているのは この大会が無事に完遂されるかどうか だ。何処かの事勿れ主義の民とは違って 彼の者達は「やる」と言ったら本当にやると想う。
北京五輪は各国での聖火リレー妨害に始まり 競技会場となる海辺での海草異常発生 途中起こった大震災 路線バスへの無差別テロ……と 悉くが曰く付きである。これが一個人の身の上に起こった事であれば 誰もが「不吉な予兆」と受け止め 少し先に予定された祭典敢行の意志など木っ端微塵に吹き飛んだことだろう:中国ってのは大した国家だ。彼方側の自国では未だ震災の被害も収束し切っていないというのに 只中央のみは近郊の水田と稲作農家を幾つも犠牲にした上での “水の祭典” に沸いている。其れの何処が「平和の祭典」「エコ五輪」なのか。挙げ句の果ての ミサイル設置による厳戒態勢 だ。北京五輪は異常である。このまま無事には済まずとも 合点はいってしまう。そう言う意味では確かに 北京五輪は中国にとって “世界の一員としての己” を理解し自覚するには (その気があるなら)絶好の機会となった訳だが。
あの過日の大地震の折 中国は五輪開催をスッパリ断念すべきだったと僕は惟う。世界にとってどんなに精神的/経済的損失に繋がろうとも あの天災はそれだけの口実に成り得る大惨事だ。此を個人の挑戦や企業の野望を理由に批難すれば その者は全世界からの綺麗事尽くしな誹りを免れ得ない。あの大地震は天から中国への 最後通牒だったように想えてならない。
先日テレビ朝日『報道ステーション』にて コメンテーターがなかなか殊勝な意見を述べた。曰く(極度の意訳デス) 「日本も東京五輪開催時には 常道を逸するような開発をゴリ押しに進めた。このままでは日本は危ういと全世界が懸念する中 東京五輪は成功し 結果として日本はここまで成長したのだ。そういう先達として 同じ亜細亜として 日本は今回の北京五輪と中国とを 思慮深く見つめて往かねばならない」。皮肉ではなく 昨今のTVには珍しく哲学的/多角的視野をしたコメントである。だが その直後の古舘クンの ともすると聞き逃すほどに淡泊なツッコミが更に佳かった:「お陰で今 日本は様々な弊害を抱えていますけれども——」。
——そうだよ そこだよ。完璧を期するならばコメンテーター氏は 「思慮深く見つめて往かねばならない」「そして このような国の二の舞はならぬ 真似をしてはならぬ と警鐘を鳴らさねばならない」と続けるべきだった。
コノカンジ は 例えば遺産相続の件で死ぬまで仲違いする兄弟姉妹 に似ている。つまり 同族だからこそ 或る種の感情がいついつまでも燻って消えぬのだ。此が互いにアカの他人だったなら サッサと白黒付けたに違いない——アメリカが僕らへ原爆投下したように。